脱獄王 脱獄 脱獄囚 獄窓
脱獄王
脱獄囚
脱獄
獄窓
逃げて、犯して捕まって。
脱獄は「国家権力」に対する挑戦。
なんて、格好のよいものではない。
個人的な理由で「飛ぶ」 ものがほとんどだ。
ここで紹介する脱獄犯はすべて逮捕されている。
自由の代償はなんだったのだろうか。
一、
なんと、脱獄囚が裁判官に。
実在した判事、渡辺
最近は「裁判官の犯罪」も、さほど大騒ぎする時代ではなくなった。
これも、社会の風潮なのだろう。
しかし「法の番人」の犯罪はマスコミは厳しく断罪する。
それは国家公務員の犯罪というよりも、裁判官という職業に対する「国民付託」を裏切ったという、精神作用がつよいのではあるまいか。
しかし、裁判官の犯罪という事であれば日本の司法の歴史をたどると明治のころに、それこそ司法制度の根幹を揺るがすほどの大事件が起きていた。
当時の新聞に「判事となりし終身懲役囚捕獲」という見出しの記事があり、本文が続く。
「長崎地方裁判所管の福江区裁判所予審判事辻村康太、明治12年7月、三池集治監を脱っせし終身懲役囚渡辺なること露見にて捕縛の上、24夜長崎へ護送されたり」
刑務所 生活 脱獄王 獄窓
刑務所 生活 脱獄王
獄窓
2010.1.16(土)より、
角川シネマ新宿にて、解禁!
なぜ彼は脱獄を繰り返すのか?
脱獄王と呼ばれた男の真の目的とは・・・?
鬼才・板尾創路が放つ、"獄"上クライム・ラビリンス、解禁!!
【ストーリー】
◆暗雲立ち込める空。時折稲光と共に雷鳴が轟き、やがて、建物に直撃する激雷。
その瞬間、建物内の照明が消え、けたたましい警笛とサーチライトがあたりを支配する。
「鈴木がっ、鈴木がいません!」また、あの男が脱獄したのだ―――。
◆――昭和初期。信州第二刑務所にひとりの男が移送されてくる。
男の名は鈴木雅之(板尾創路)。胸に逆さ富士の入れ墨を入れたその男は、無口で物静かな様相とは裏腹に、拘置所を2度も脱走したいわく付きの囚人だった。
噂どおり、収監されて1週間もたたないうちにまんまと脱獄する鈴木。
刑務所のメンツをかけた必死の捜索により、ようやくほど近い線路で身柄を取り押さえることができたが、看守長の金村(國村隼)は、この男にはなにかある、という想いに囚われる。
◆その後も、鈴木はどんな刑務所、拘置所に収容されても脱獄を繰り返した。
それは、時間の長短や、枷の大小、難易に関わらず、突然意表をついた形で行われる。
そしてまた戻ってくる鈴木。通常ならとっくに釈放されている微罪にも関わらず脱走を繰り返す彼の刑期は計り知れないほど膨らんでいた。
◆次第に世相は戦争に向け、不安定な空気をはらんでくる。
かつては看守長だった金村もその実直さが司法省のトップ、上羅(石坂浩二)に取り立てられ政府高官の1人となっていた。
ある日、ふと書類に目を落とすと、鈴木雅之の名が、「監獄島送り」と記されていた。「監獄島」とは、もはや戸籍すら抹消され、一度入ったものは二度と娑婆に戻ることはないという究極の奈落だ。
「鈴木もこれで逃げられないだろう」と思いながらも何故か言いようのない気持ちに襲われた金村は、彼の最後を見届けたいと自ら警護を申し出る。
しかし、そこは終わりではなかったのだ。果たして「脱獄王」と呼ばれた鈴木の真の目的とは・・・?
刑務所 生活 栃木刑務所 獄窓
刑務所 生活 栃木刑務所
獄窓
沿革
栃木町旭町に栃木監獄署開設。(男囚を収容)。 84年12月、宇都宮監獄署栃木支署に改称。
1906-12
女子受刑者を収容する施設に所管替え。
22-10
宇都宮刑務所栃木支所に改称。
1968-4
職業訓練の一環として、 「栃木美容専門学校」が開設される。
(現在は美容専門学院に改称)
1976-12
市内総社町に新施設着工。
79-6
完成。
8月、旭町の旧施設から全受刑者移送される。
女囚達が悲しみを胸に歌う所歌
「思い川ブルース」がこだまする
歴代収監者
浴田由紀子
ダッカ事件で95年に逮捕時、東アジア反日武装戦線のメンバー
阿部定
36年、東京都荒川区の待合茶屋で、性交中に愛人を殺害
矢沢美智子
80年、LAで起きた三浦一美さんの殴打負傷事件で実刑
飯田エリ子
元オウム信者。
95年、仮谷清志さんの監禁致死事件に関与
刑務所 生活 千葉刑務所 獄窓
刑務所 生活 千葉刑務所
獄窓
沿革
1901-4
現在地(千葉市貝塚町)に監獄を建設
完成は07-4
1922-10
千葉刑務所と改称
1971-6
全面改築始まる。
95年完成。
庁舎と表門は千葉県の明治文化遺産として登録された。
重大犯罪囚人を収容する 日本のマキシムセキュリティがここにある
歴代収監者
石川一雄
狭山事件の元被告。
94年に37年ぶりに晴れて出獄した
甘粕正彦
憲兵大尉。
大杉栄を惨殺し、軍法会議で懲役10年の判決。
見沢知廉
新右翼の作家。
イギリス大使舘襲撃事件で12年の懲役
荒畑寒村
社会主義者、作家。
1937年に人民戦線事件で検挙
電話
047-231-1191
JR総武線千葉駅東口から京成バス「御成台車庫」行きに乗車15分。
県職員能力開発センターで下車。
徒歩三分
特徴
作業製品は完全ハンドメイドの桐ダンスが有名で、 年間制作本数は20本たらず、定員630人